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沖縄戦の集団自決に関する裁判でノーベル賞受賞作家が証言 [時事寸評]

を行った。9日。

これは何の裁判かというと、 当時の沖縄にいた隊長がそんな命令出していない、 名誉も傷ついたし家族もひどい目にあっているし、 なにより事実ではないということで、 裁判を起こしたのだ。

この話題で書くと疲れるので微妙に腰砕けになっているのだが、 「表裏」というブログに同じ話題で書いたものを途中まで出してあるから、 興味があったらそちらも見て欲しい。

教科書問題で騒いでいる人達が次の日本の戦争を支えることになるような予感 (1)
教科書問題で騒いでいる人達が次の日本の戦争を支えることになるような予感 (2)

ところで、問題の本には隊長の名前は出てこないという。 理由は。 ノーベル賞受賞作家談。

こういう経験をした一般的な日本人という意味であり、むしろ名前を出すのは妥当ではないと考えた。

( http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711092043013-n2.htm )

素晴らしい。 適切な判断だろう。 ということで、 今回は、 あえて氏名を出さずにノーベル賞受賞作家と表現させていただく。

なお、今回の裁判におけるノーベル賞受賞作家の発言は、 先に紹介したページ以外にも、 「沖縄集団自決 - トピックス - MSN産経ニュース」に多数詳しく出ているので、 興味がある方は、見ておくといいと思う。 曽野綾子氏の「正論」など、ここでしか読めないものがあるので注目。

双方が認めている大きな事実がある。 この本を書くにあたって、 一方の当事者である隊長側の人間からは一切の取材が行われていないのだ。 ノーベル賞受賞作家の書いた本は、片方の主張だけを元にして書かれているのである。

もちろん、これはノーベル賞受賞作家としては、全く問題ない。 なぜなら、ノーベル賞受賞作家はジャーナリストではない、小説家なのだ。 実際、受賞したのは文学賞であって、 ノンフィクション賞ではないのである。そんな賞はないと思うけど。 小説家というのは、 アニメやドラマで言うならば「この物語はフィクションであり、実在する人物・個人とは何の関係もありません」 とテロップを入れるような作品を作るのが仕事の人である。 だから、妄想で何かに憑かれて作品を捏造したとしても、 原則的には別に構わないと思う。

ただ、事実ではないことを書いて現実の人が被害にあってしまうというのはヤバいし、 だから実際に裁判になっている訳だが、 これに関しては面白いやりとりがある。 作品の誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないかという質問に対して、 ノーベル賞受賞作家がこう答えている。

(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか

反語だ。 流石、超一流の文学者である。 予想はつかないと言っているのだ。 誤読までは面倒見てられないというのは、まあある意味そうかもしないが、

やはりノーベル賞を受賞する人の発想は常人とは違うのか。 私がこういう文章を書くときは、どう誤解されるかビクビクしながら書いては直し、 また書いては直しして、結局削除して何もなかったことになったりするのだが、 個人的にはその「誤読」というところが最大の誤解みたいな気がするのだが、 まあそれはどうでもいい。 なぜなら、およそ小説やその他諸々の文章において、 字を読み間違ったというのならともかく、 誤読などというものはまず存在しないと思うのだ。

なぜなら、文章というのは様々な解釈が可能であって、 こう読むのは誤り、というような縛りは殆ど不可能なのだ。 それがたとえ曲解であっても、それを誤読と断じることはできないのである。 本人が書いた意図とは全く違う解釈かもしれないが、 それは読者が書いてある通りに理解したと考えるべきであって、 誤読した訳ではないのだ。 どのように読もうとも、全てはそういう意味で正しい読み方なのである。

少なくとも、沖縄の集団自決問題については、 隊長側に取材をすれば、命令を出したことを完全に否定していることは明らかだったろう (一時期、黙秘していた時期があったので、微妙な話かもしれないが)。 それを踏まえて「命令をだした」というノンフィクションのレポートを書くのであれば、 その「命令していない」という証言を覆すような論理が必要になるはずだ。 しかし本人は軍の命令は事実だと考えているかと質問されて、

事実と考えている

と断言してしまっている。 これは驚きだ、フィクションじゃなかったのか。 ノーベル賞受賞作家談。

『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。

他の本を見て小説書くのは別に珍しいことではないが、 そんなにいくつも書籍があったっけ?

裁判のやりとりにも出てくる、 曽野綾子氏の本「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!」 には、いくつか文献(確か3つ?)があるが、 元の本の引き写しで、実際は1件、 それも事実というにはかなり矛盾した内容が元になっていることが検証されているから、 ノーベル賞受賞作家がいうところの「いくつもの書籍」というのが一体何なのか、気になりますね。 もちろん、それが何という書籍なのかは全く謎に包まれているのだが。

また、本裁判では決定的な意味を持つであろうと思われる、 宮城晴美氏が書いた本「母の遺したもの」には、 集団自決の直前に、 助役と数名が隊長に、自決のための弾薬をくれと直談判したときの様子が出てくる。

隊長は鎮痛な面持ちで「今晩は一応お帰りください」と私たちの申し出を断ったのです。

(p.39)

宮城晴美氏の母は、この場面に居たのである。 つまり、軍がどのように命じたのか、直接関わった人物なのだ。 なお、宮城氏の母は一時期、 実際に隊長に会った人物として、軍に命じられたという証言をしていたために、 多くの文献がそれに基づいて「軍が自決を命じた」という前提の論調を展開した。 なぜ命令がなかったのに命じたと書いたのか、 それをなぜ後になって覆したのか、 それらは「母の遺したもの」に書かれている。

余談だが、 単に妄想してみるにしても、 自決のあった頃の状況の証言から想像すると、 むしろそんな命令出す余裕があるわけがない、 という解釈の方がはるかに合理的に思えるのだが、 フィクションとしては、それでは面白くないのでしょうね、きっと。

もっとも、ノーベル賞受賞作家の立場としては、 文献を調べたら軍の命令があったと書いてあったからそれをベースに書いたのに、 そんな後になって「あれはウソ」と言われても…みたいな感じもあるのかもしれないが、 でも、ノーベル賞受賞作家、 証人が前言を撤回しているにもかかわらず、 事実だと完全に断定していますから、 論理よりはやはり妄想、小説家の世界に完璧に飲み込まれているのかもしれない。


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