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自民党の加藤紘一元幹事長が放送中に「拉致被害者は北朝鮮に返した方がよかったと思う」 [時事寸評]

と発言したということで、あちこちで批判の声が上がっているようだ。

放送があったのは7月7日。BS11の「西川のりおの言語道断」という番組。 加藤氏の発言の趣旨を過激に要約すれば、 拉致被害者を帰すのは国家間の約束だから帰すべきだ、という論理のようだ。

マスコミ各社もこれに飛びつき、 ブログでも非常に人気の高い話題となっている。 加藤氏は発言の一部分だけがマスコミに紹介されていることが不満らしい。 11日「加藤紘一オフィシャルサイト」に、 次のような文章が掲示された。

私の発言の一部分だけが、時事通信の記事として配信され、 多くの皆さんが違和感を抱いたり、怒りを感じたり、悲しんだりしておられるようです

このサイトに、 前後の文脈を考慮して判断できる程度の長さの内容が紹介されている。 読ませていただいたので、少し書いてみたい。 とりあえず問題の箇所。

西:返したほうがよかったわけですか。
加:当然です。国家と国家の約束ですから。あのときに・・・。
西:でも、国民の感情としては、もともと拉致されたものである、返すことという道理は・・っていうのがありますよ。わかりますよ。なにを返すんだと、なりましたよね。
加藤さんは、返したほうがよかったと。
加:よかったと思いますよ。
(以下略)

同サイトからの引用である。 一応確認しておくが、 どのような文脈であれ「返した」(ママ)方がよかったと考えていることは事実のようだ。

公式サイトを見て驚いたのだが、 前後の内容を見ても 非常に違和感のある内容であることに全く変わりがない。 実は、マスコミはもっと偏向した報道をしたのかと思っていたのだが、 意外と忠実に報じていたのである。

加藤氏の主張だが、 まず根本的なところがおかしい。 その根底にあるのは、 政府と政府の約束だから帰すべきだという理論である。 これは極めて正論のように見えるかもしれないが、 一つ重要なことを忘れている。

拉致被害者は、物品ではないのだ。

人間なのである。 もっと言うなら日本国民である。

日本国民は、もちろん日本国が守り、権利を与えるべき存在なのだ。 例外的に外国で犯罪を犯した者が国家間で身柄を拘束されたまま搬送されることはあるが、 今回はそうではない。 そのような限られた特別な場合を除けば、 自由が保証されている個人の意思を無視し、 国家の力で拉致して特別な所に強制的に送還するというのは、 どこかの国ならともかくとして、 日本においては絶対にあり得ないことなのである。

現在の日本は確かにおかしな感じもするが、 それでも、日本から他の国に行くことに関しては基本的に容易である。 紛争中の国にのこのこ出かけていって誘拐されてしまう位に自由にどこにでも行くことができる。 日本は拉致被害者を逆拉致した訳でも監禁している訳でもない。 本人達が北朝鮮に帰りたいのなら、いつでも自由に帰ることができるのではないかと思う。

それに、 加藤氏は日本が約束を破ったと断言しておられるようだが、 私見としては、それはまだ確定していないのではないかと思う。

敵との約束は守らなくてもいい、というような思想を持つ国はいくらでもあるそうだが、 日本には「敵に塩を送る」という逸話があるように、奇妙な意地があって、 相手が敵であっても約束を守りたがるのである。 加藤氏が(相手はどうであれ)約束を守れ、というのもそういう思想に裏付けられているのだろう。

だから結局、帰すといったものは帰すのではないか。 つまり、拉致被害者はあくまで今も一時帰国しているだけなのだ。 いつか北朝鮮が個人の自由を保証し、 誰でも自由に意見を述べ、いつでも諸外国と行き来できる国になった時、 その約束が果たされるような気がするのだ。

それにしても、 加藤氏の発言で驚いたのは、その外交感覚のあまりの欠如だ。 2ちゃんねるの釣り師を想像してしまった位だが、

小泉さんが行ったから、金正日は謝ったわけですね。 「親の代にやったことだが、あれはまずかった、ごめんなさい」と。 あの国では、一種、天皇陛下みたいなポジションの人物ですよね。

こんなことを、本当に番組で言ったのか?

まあそれはどうでもいい。 ここでのポイントは2つある。 「謝った」をどう解釈すべきか、という点と、 「天皇陛下みたいなポジション」が何を意味するのか、ということだ。

先に書いておくが、 後者に関しては今回は議論しない。 この話に入り込んでしまったら私の手には負えないからだ。 恐縮ながらそれに関してはスルーさせていただく。

ということで前者について考えてみたい。 確かに会談で北朝鮮は日本は謝罪したことになっている。 ただ、その理由は非常に明白であって、 北朝鮮はその会談で謝罪したという事実をもって、 拉致問題を完全に解決した問題に凍結させたかったのだ。 実際、北朝鮮は、それ以降、ずっとそのスタンスを保ってきた(最近、動きがあったという噂もあるが)。

だから、この謝罪は謝意を表明したというよりも、 形式的なビジネスライクなりアクションと解釈すべきではないだろうか。 その証拠に、 例えば、この時に提出された他被害者に関する死亡診断書が捏造だったことが後で判明している。 遺骨が別人だったという騒動もあった。 つまり、謝罪といっても、 その内容が芝居・捏造なのである。 そのような状況で、謝罪をどう受け止めるかということは、非常に難しい問題だと思う。

それが、謝った。何人は亡くなった、何人は生きてるから一回お返しします、そこまでいったわけでしょ。

もちろん、 この「何人は亡くなった」「何人は生きている」というのがデタラメだというのが日本としての共通認識だ。 当時の政府はその程度のことは即時見破ったはずだ。 言っていることがおかしいではないか、そういうことでは困る、 という日本側の基本的立場を考慮しつつ、 外交戦略として一時帰国の期限を物凄く長いものにしたという選択が出てきたと想像するのだが、 もしかして、加藤氏はこの謝罪や報告を信じろと言っているのだろうか?

また来てくださいといったら、何度も何度も交流したと思いますよ。

ここが分からない。 一体何を根拠にそのような想像ができるのだろう? 仮に北朝鮮の視点に立つならば、 謝罪によって拉致問題が解決している以上、 その後に拉致問題に関する交流をする必要は全くないのだ。

それに、北朝鮮の人達が自由に外国に行くことができないという事実を忘れてはならない。 だから脱北者というような話題があり問題になっているのだ。 加藤氏は、「返せ」などという前に、 自由意志で日本に来て、自由に戻っていく、そういうことが簡単にできない異常事態になっているという事実を認識できていない。 「交流」などという発想自体がそもそもおかしいのに、 それを自然、当然なものと思い込んでいるとしたら、 加藤氏自身も北朝鮮の 思想的な操作、情報操作、マインドコントロールにやられたクチなのだろうか。

いずれにしても、 北朝鮮が他国以上に一筋縄ではいかないという前提で外交すべき対象であることは間違いないのに、 加藤氏ののほほんとした楽観的意見は、 もしかしたら、 現実を踏まえずに「話せば分かる」のような安易かつ短絡的な思想に基づいて出てきたのではないかと、 どうも不安を感じるのである。

(長くなりすぎたので今回はここで中断する。 気が向いたら続きを書くかもしれない。)

ps.

※ やはり不可解なので、一つだけ疑問を提示しておく。 「本当に番組で言ったのか」と書いた件だ。 加藤氏の意図というか真意が分からないので。

この対談中、殆どの人に対して加藤氏は「さん」付けで呼んでいる。 唯一の例外が、引用した箇所なのだ。 これがまだ「小泉が行ったから、金正日さんは謝ったわけですね」なら分かる。 日本的感覚では、身内は呼び捨てにして相手に敬語を使うのは自然だからだ。 なのに、外交感覚云々という話の中で、 しかも「天皇陛下みたいなポジションの人物」と評しながら、 相手国のトップだけを呼び捨てにする意図が分からない。

一般論としては、 特定の人物を呼び捨てにするというのは、 自分がその人の身内とか仲間である場合、 あるいは、相手に敬意ではなく敵意を持っている場合などが考えられる。 いずれにしても、うっかり出てしまった表現だとしたらただごとではないと思うのだが。


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